読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

GoogleとFacebookはこんなにも自分以外の世界を知ることを可能にして、どうしたいのか。

誰もがありとあらゆる情報にアクセスできる世の中をつくって、で?どうしたいの?

どんな世界にしたいのか。

 

私の考えではこうだ。

誰もが自分の世界でしか生きられないのだから、その自分の世界を自分で作り上げていく際の選択肢をより多くしたいのではないか、と。

つまるところ、googlefacebookにアクセスすることによって幸せな人生をつくっていけるように、ということだろう。

 

夫が、それは善い人ばかりだったらそうだけど、実際にはそうではないのでは、と言う。

私の考えでは、そのネットに渦巻く悪意を含めて、「自分の世界を自分で作り上げていく」原動力になりえるのではないかと。

 

自分の世界は自分にしかない。

 

夫婦でも同じ環境でも、見ている景色や感じていることは同じではない。

 

他人の世界をBlogや映像やストリートビューで知っても、それは自分の世界の数時間を使って他人の世界のごく一部を見るだけであって、情報であるけれど、体感、体得されたものではない。

 

なにより、メディアを通じて見ている時点でいくらハイビジョンだろうと、一度コンピューターが再現している景色なのである。あくまで自分の目に届くのはコンピューターの画面なのだ。

 

グーグルアースでインドに行くのと、実際にインドに行くのとではちがう。

インドが(あるイメージのものとして)存在している、ということはわかっても、インドが自分の世界の一部になることにはならない。

 

幼い頃からTVでどこかの貧困や殺戮や自然災害などを映像で知っていたが、それに対し問題意識を持っていたが、

結局はその問題が自分の世界ではなかった。

(実際にそれをきっかけにどこかの貧困や殺戮や自然災害などの世界に入っていって助けになろうとする人々も居て頭が下がるが)

 

しかし同時に、自分を正当化する訳ではないが、世の中のあらゆる問題を少しでも良くするために自分になにができるかを、まずは自分や自分の周りを幸せにするしかない、という気持ちになるのは私だけだろうか。世界平和の前に家庭平和なのである。think globally act locally。これは平和ぼけというやつか。

いや、賢人たちもそう言っていることがある。

「隣人を愛しなさい。」

「愛は家庭から始まります。まず、家庭から始めてください。やがて外へと愛の輪が広がっていくでしょう。」

 

私がそう思った体験は具体的にはこうだ。

私が以前とあるインターネット企業に勤めていた頃、私が仕事のテーマとしていたのは「子どもの間でのインターネットトラブル、いわゆるネットいじめやネット犯罪について」だった。それに関するサービスを事業化し、保護者や教育関係者に講演したりしていた。あたりまえではあるがネットの功罪ある中で、困っている人たちがいたからこそ、ビジネスとして成り立ったのだと思う。

しかし考えれば考える程、というか考えなくても当然といえば当然だが、いじめや犯罪を起こす子どもはネットであろうがなかろうが、人間関係に問題があったり、その人の考え方が現在の社会常識からすると逸脱している時に起こる現象の一部であり、「ネットと子ども」の関係を考えてもしかたがないと思うようになった。

そして色々な人との対話や文献などから、そのような状態の子どもがそうなるまでには、親子関係が大いに関係しているのではないかと考えた。

もうこの問題を考えていくには、自分が親になり子を育てあげたとき、何かわかることがあるかもしれない、と、もうその仕事を辞めようと思った。

 

世の中のあらゆる問題を少しでも良くするために自分になにができるかを考えてみると、まずは自分や自分の周りを幸せにするしかない、という考えとは具体的にいうとそういうことだ。

 

そのために子どもを産んだ訳ではないが、妊娠8ヶ月で退職し、現在1歳8ヶ月になる娘はすでにyoutubeユーザーだ。