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子どもにとってのスリル

例えば2歳児を連れて公園に行くことを普通推奨するだろう

公園には緑もあり、遊具もあり、お友達もいる

良い事にきまってる、と多くの人が疑わない

私もそう思う

 

海や森によく行くのだが、近頃娘は公園に行きたがるようになったため

公園に行く事も増え、公園や遊びの場について色々を考えるようになる

私自身は海や森の方が気持ちがいいし、娘に良いと思い込んでいたが、それは私の勝手だ

 

公園は人間の創造物だ

遊具も元々は森のターザンや木登りなどを真似てできたものだろう

”ある程度の安全性を担保しつつ”、”スリルを感じられる”ように設計しているのだろう

同じparkだが、テーマパーク、アミューズメントパークはその最たるものだろう

 

公園は森よりも、遊び方がわかりやすい

当たり前だ、遊具は子どもが遊ぶために作られているからだ

エンターテイメントに近い

それに初めて挑戦すれば必ずスリルが感じられる

心がわくわく、どきどき、ハラハラ

身体が悦びを感じる

そして遊具を制覇すると達成感が得られる

 

公園などない環境では、子どもは自然を利用し遊びを見つけ出すしかなかった

もしかして少し年上の子が木登りをしていた、その同じ木に登ってみたかもしれない

そして蔓につかまって木を移動する猿を真似て、大蛇の木でターザンをしたかもしれない

川に大きな岩があれば飛び降りたくなるのは本能だろうか

そして、森では子どもが遊びによって死ぬことも、あったろう

公園で死ぬ子どももいるが、リスクとしては森よりは低い

 

現代の子どもが遊びを見つけ出さないわけではない。当然、見つけている

実際、公園の遊具でも、子どもは色々な工夫をする

 

例えば、物理的な、身体的な遊びとしては、

”登ってはいけない”ブランコの支柱を登ったり、“座るべき”滑り台を立って駆け下りたりする

常識的には大人はそのルールを認識していることが多いので滑り台を登らない、と教育するが、

子どもが注意を守るはずはない

だからといって、そのような子どもの応用にさえも耐え得る設計と言い出せば遊具はなにも置けない

ただでさえ、回旋塔が回旋しない時代である

 

うちの近所には、ビルの2階以上はある高さの滑り台がある

心配性のPTAから苦情がでれば取り外されそうな雰囲気満載である

しかもよくあるサイズの滑り台と上下にクロスするように配置されており、たいそう奇妙な空間になっている

大人が登っても結構な高さを実感できる

2歳の娘には今はまだ登らせない

一度一緒に登って滑り降りたが怖かった

子どもの身体能力と危機察知能力をその滑り台を一人で遊ぶのに十分と信頼できるようになった時、まずサポート付きで登らせてみるだろう

手を離さない、落ちたら大けがするからね、などと教育もするだろう

そしてそれが問題なく何度も達成できたら、親が目を離しても遊ばせられる

その先に落ちて怪我した、となれば、まあそんなケガも必要だとも思えるだろう

 

遊びのシーンにおいて、子どもには見守る大人を卒業し、年上の子どもの遊び仲間が必要になる

真似できる対象だ

公園では年上の子どもに出会える

子どもが本能的に挑戦したくなる、スリルを感じる遊具もある。

精神的にも、身体的にも刺激が受けられる場なのだ

 

だから現代の日本で森のようちえんのように、森の中で年上の子どもとも遊べるのはきっと貴重な経験だろう

 

現代の日本において多くの子どもに遊べる森はなく、

また森があっても学べる程に観察可能な獣との遭遇は滅多にない

でも動物園やTVやYoutubeで猿が木を渡る様子を観察できる

 

森では不可能だった近さや、スローモーションや、暗視カメラや、繰り返し再生で学べる

 

子どもにとってのスリル、刺激とはなんだろう

脳のどの部分のどのような働きだと科学されているのか気になってきた

 

例えば、高さのあるところか落ちること。

あの一瞬世界が止まり

胸がドキッと飛び上がり

全身がヒヤッと寒気立ち

空と地面が回転し

身体が次々に打ち付けられ

どすん、と一撃、芯まで痛めつけられる

すごい数の”刺激”をほんの1秒の間に味わう

 

私自身は飛行機の墜落どころか骨折の体験もないのだが

刺激を体得することが身体性を強めると思う

逆に身体性は内的外的な物理的刺激を体得することでしか伸びない

バレエを見たところでバレリーナのような身体性が備わるわけでない