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ぼろぼろの靴下を直していて思ふ

『赤ちゃんはどこまで人間なのか 心の理解の起源』(ポール・ブルーム著/春日井晶子訳)によると、

人間は動物の中でも利他行動を発達させた種らしい

 

ダーウィン自然選択説によると、動物は生き残りと子孫の反映が約束される形で進化し、自分を犠牲にして、他者を助けるという生物学的な意味での利他行動をとるようになり、さらに、ウィリアム・ハミルトンリチャード・ドーキンスによる血縁選択説は、生物を遺伝子の「乗り物」としてとらえ、遺伝子の視点に立てば、(自然選択の結果)自分がつくった遺伝子の乗り物(子)を守るべきであることから利他行動が生まれたとする。

 

他者を思いやったり、分かち合ったりする遺伝子をもつ個体が集団内に細かく目を配って、全員が助けあうようにする。さらに彼らがサイコパスのような突然変異の利己的な個体を識別でき、排除することができる、と仮定すると、利他主義の遺伝子は繁栄する。

それを互恵的利他主義という。

 

例えば、人間だけでなく、ライオンは群れで生活するので、限られた獲物を分け食べるとき、群れが血縁関係にある場合はとくに、自己抑制して、腹一杯まで食べる事をしない方が適応的だろう。やや強引ではあるが、ドーキンスの考えではライオンの歯が悪くなりやすいという性質は利他的な適応だとされる。

 

さらには、人間が利他的な行動に向かうプライマリーな衝動、動機、欲求があるとされる。こうした精神状態こそ、道徳感情と呼ばれるものなのだ。

 

そのことからすると、互恵的利他主義での道徳感情は自分の血縁関係や協力関係にあるひとのみに向けられるはずである。

しかし実際に私たち「人間」は遠くの誰かのために献血をしたり、動物保護のために菜食主義になったりする。

 

と、だいたいはこんな内容だった。

私はぼろぼろの靴下を直しながら、商売は人間の利他行動なのだと考えた。

 

靴下を自分や家族のために直すことで世界にひとつの靴下ができあがる。

かつてこの消費社会が発展する前はほとんどの家がそうだった。

お母ちゃんが着物を縫った。

それは隣の家の子とはそれぞれ違っていた。

破れたら直して、弟や妹用に直して、不便だったら直して、、、と着物は家族とともに成長し、究極の一点物となった。

 

今は、なんとかというブランドの一点物などともてはやされることはあれど、

自分や家族のために暮らしに必要なうちだけの一点物はほとんどなくなった

理由は町へ出れば、どこかの誰かが作ってくれた、安い服や、食べ物や、なにもかもが手に入るからだ

 

もともとは自分や家族、せいぜい親戚と村の隣人に手作りしていたものを

いつしかお金を介し、家族でもない誰かのために作る人が現れたのだ

お金が欲しいから、ということもあるが、お金は誰かのためにならなければ支払われないことを鑑みれば

誰かのために商売をしていることには違いがないのだから

 

この部分で私は純粋すぎるのだろうか?

 

ちまたの陰謀論では、もしくは現実にそうなのかもしれないけれど、

人間や地球に悪い事を知っていても企業はお金儲けのために○○をやっている、

というのがセオリーになっているが、私にはそれが素直に信じられない

 

思うに、そこにあるのは「○○は人のためになる」という”純粋な思い込み”をする集団であり、

一方「○○は人や地球のためにならない悪である」とする別の“純粋な思い込み”の集団なのだ。

 

だから大企業=金儲けのために悪魔に心を奪われた集団、というような考え方にはしっくりこない。

よって、東電の幹部が福島原発後こぞって家族と海外移住をしているとか、

モンサントの社員食堂では遺伝子組み換え作物を出さないとか、

そんなことは、あるはずないのです。

 

商売は人類の利他行動なのだから、現代の企業活動は、大企業であればなおさら、人類の種の保存に適応なはずなのである。

すると、たくさんの武器を売買して戦争を起こすのも、人類にとって適応的となり、人口コントロールとか人種や宗教差別などを正当化しうることにもなり、その時点で例の道徳感情が発動してくる。