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“自然派志向”

私は同じ化学式なのに、天然のものと、化学合成されたものの違いがわからない

程度の違いはあれど、天然物と養殖物、慣行栽培物と有機栽培物。

 

経験上、味や使用感などに違いがある!と言い切れる人もいるのかもしれない

体感、経験に頼るのは個人の自由で、私もそうであるから、そこに文句はないが、

量的な意味でそれほどまでに天然物と合成物で同じものを食べ比べてみた、という人がどれだけいるのだろうかは疑問だ

 

根拠はなくとも感情的に天然ものは良さそうで合成物は良くなさそうと決めているだけかもしれない

もはやそれは今日の常識にさえなっているのではないか

 

例えば植物はチッソ、リン酸、カリの3要素が揃えば生長できる(と、水と光)

それが化学合成されたものであろうが、有機的に生成されたものだろうが、育つ。

科学的な大きな違いは、「合成」「生成」というワードからも言える通り、それを獲得するまでのプロセスだ。

化学合成は人間が合わせるという行為によって、有機物の生成はあくまで微生物をはじめとする生命活動の循環によって。

結果は同じでもプロセスが違い、循環の中にあるかどうか、が違う。

多様性がキーワードとされるのもその点の違いからだろうか。

 

生き物である限り、循環の中にあるべしという前提に立てば

やはり天然モノは合成モノより優れており、天然モノをなるべく選択すべきという結論になる。

尚、いくら循環のプロセスにあるからといっても、例えばフードマイレージのように、天然モノのほうが合成モノより入手のための環境負荷がかかるということでは元も子もないので、その点は冷静な比較が必要である。

 

さて、そもそも論ではあるが、私たちが合成モノより優れるとされる天然モノを選ぶことの目的とは、

本来、自分や家族が長生きするためではなく、地球全体の生命体がバランスするためであるべきだ。

 

人類以外の種は合成モノか天然モノかの選択肢なんてなく、循環の中でそれを食べることが唯一の方法であり、

ただただ生きのびることがバランスすることである。

当たり前だが、自分や家族の健康のために有機野菜しか食べませんというシマウマはいないし、最近狩りの調子が悪いからといって畜産をはじめるライオンもいない。

 

私たちは都会のカラスの異常な繁殖を嫌うが、それこそ人類が増えすぎた結果であることを自覚しなくてはならない。

人間がやっかいなのは、極論ではあるが、100人に1人が命を落とすリスクのある天然モノではなく、その毒性を抜いてあるので安心な合成モノより選べるという点だ。

皮肉にも、種の保存という本能からすれば、人類がそうするのは自然なことかもしれない。

 

現代の地球でも生命の循環はある。まわっている。

だから私たちは今こうやって生きているし、死んでも土になれる。

現在の循環は純度100%で回ってはおらず、ところどころに歪みを孕んでいる、と評価すれば、

例えばシャンプーを天然モノにしましたという選択は所詮気休めにしかならない、という見方になるだろう。

一方、もっとダイナミックに、地球は寛大で、微生物の世界は数とスピードで圧倒的で、人類が天然モノか合成モノかにこだわること自体がちっぽけすぎてとるに足らない、いずれ滅びる(もしくは自己破壊する)種の悪あがき程度という見方もあるだろう。