精神面の成長1

幼少期~学生~独身社会人時代は、がんばれば何事も上手く回るように思えた

私は日本という資本主義社会の典型的な幸せな子だった

 

私の親も含め、私立中高大学に通うような私の周りは、当然capitalismの日本社会で生きる人たちのアッパーな思考パターンで回っていて、がんばれば上手く行く!的な思考回路の素直でポジティブな私は欲しい評価を得る事にもたびたび成功した

 

自分ががんばったから、と自分を褒めて認めていたし、それを原動力として希望を持ってさらに前に進んだ

noblesse oblige、恵まれていることは認識していたので、その分頑張らなければと思っていた

 

 

■親になり、精神面での成長があったことの1つは、今までの私は誰かが用意したものさしで測った成功体験を糧にしていたという事。用意されたものさしで測る世界では幸せを感じられる。でも自分で自分の幸せや正しさを見つけていなかったということには気づいていなかった。

 

現代の日本という資本主義社会の中での常識に則って生きていると子育ては辛い

自由に子育てしているように思われているかもしれないが、「毎日お風呂に入る」とか「穴の空いた服は恥ずかしい」とか細かなことでも、アッパー社会で育った私の頭は堅く、場所や時代が変われば常識は変わるものなのに結局それに囚われており、もっと解放されたい

 

夫は私より頭が柔らかい。一緒に子育てをしていると、堅い頭で居る時にはイライラする一方、落ち着いて話をすると楽になる。私の頭がアッパーな思考で堅いことは我が家の雰囲気が悪くなる元凶である。

 

なにより娘はまだ獣だ。堅い頭で対峙するのは両者にストレスがかかる。

とはいえ、子育ては「反射」の側面が大きい。子供の一挙一動のたびに考えている暇はないから。

だから自分に染み付いたアッパーな堅い頭がいわゆる「常識」を教える。

これを躾という。

 

それでも娘は言う事を聞かない。

度々耐えられず怒り、最終的に彼女の意思に屈する自分がいる。

その状況に私は不安になる。

 

夫は「躾は必要、でも言う事聞かないことや、屈する事もまあしょうがないと思った方がいい」と言い、「それだけ自分の意思がはっきりしているのは良い事」と娘を信じる。

たしかに、私が不安なのは毎度苛立つ自分自身についてと、娘の行く末であり、「この子なら大丈夫」と思ってあげられれば、不安の半分は解消されるのだ。

 

バランスが大事、そう片付けられる話ではあるのだけれど。